【ひるおび!15周年特別Week】国会議事堂の“ひみつ”を高校生と共に探る!田崎史郎が案内する政治の舞台

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国会議事堂の知られざる歴史と政治の舞台裏を高校生と共に探る特別な時間

2024年8月16日放送のTBS「ひるおび!」では、15周年を記念した特別編として、国会議事堂を舞台にした貴重な内容が放送されました。政治ジャーナリストの田崎史郎氏が案内役を務め、関東在住の高校生7人と共に国会議事堂を見学し、その奥深い歴史と現代に至るまでの変遷、そして舞台裏に迫る特別な企画が展開されました。田崎氏は44年にわたり政権の中枢を取材し続けてきた経験から、国会議事堂にまつわる数々の秘話を詳しく解説し、視聴者にとっても新たな発見が満載の内容となりました。本記事では、田崎氏が語る国会議事堂の魅力とともに、放送内容を徹底的に掘り下げていきます。

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国会議事堂の建設秘話とデザインの選定プロセス

国会議事堂が完成したのは1936年、今から88年前のことです。この建物の設計は、一般公募によって選ばれたデザインを基にしています。当時、全国から寄せられた多くの応募作品の中から、建築家の渡邊福三が提案した案が第一等に選ばれ、そのデザインが今日の国会議事堂の基盤となりました。渡邊福三の図案は、当時の日本を代表する建築として高く評価され、賞金1万円が贈られました。この金額は現代の価値に換算すると約600万円にもなり、その価値の高さがうかがえます。

国会議事堂の建設には、多くの建築家や技術者たちの情熱が注がれました。一般公募によって選ばれたデザインは、国民の声を反映したものでもあり、当時の日本がいかにして国家の象徴を作り上げようとしていたかを示しています。このような背景から、国会議事堂は単なる政治の舞台としてだけでなく、日本の建築史においても重要な位置を占めています。


国会議事堂の三角屋根の歴史と意外な使い道

国会議事堂は9階建ての建物で、その中心には広々とした中央広間が広がっています。この広間は、国会議事堂の象徴的な場所であり、多くの重要なイベントがここで行われてきました。しかし、今回の放送で注目されたのは、その上にある「三角屋根」の部分です。実は、この三角屋根はかつてダンスホールとして使われていたという驚きの事実が明かされました。

終戦直後の日本では、ダンスが一大ブームとなっており、国会議事堂の職員たちもこの流行に乗って、8階にある三角屋根の下でダンスの練習を行っていたのです。当時の雰囲気を想像すると、厳粛な政治の場としての国会議事堂が、ダンスホールとしても利用されていたというギャップに驚かされます。さらに、9階に上がると、中央に螺旋階段があり、そこから眺める景色は都心の風景を一望できる絶景スポットとなっています。このような意外な一面を持つ国会議事堂は、政治の舞台裏に隠された歴史の一端を垣間見ることができる場所でもあります。


国会議事堂の中央広間に立つ3つの銅像と空座の謎

国会議事堂の中央広間は、政治家たちが行き交う重要な場所です。この広間には、日本の近代政治を支えた偉人たちの銅像が立ち並んでいます。具体的には、大隈重信、板垣退助、伊藤博文の3人の銅像が設置されており、いずれも日本の政治史に名を残す人物たちです。しかし、これらの銅像の隣には、1つだけ空の台座があることに気付かれるでしょう。

この空の台座には「政治に完成はない」という意味が込められており、未完の象徴として存在しています。これは、政治が常に進化し続けるものであり、完結することはないというメッセージを伝えるために設置されたものです。また、この広間には、天皇陛下が来訪された際に使用される御休所も設けられており、国会議事堂が日本の象徴であることを改めて実感させられます。

この空座の存在は、政治が常に未完成であり、常に新しい挑戦を求め続けるというメッセージを伝えています。国会議事堂を訪れる際には、この空の台座にも注目してみてください。


予算委員会室と総理大臣になるための条件

国会議事堂内には、政治の重要な議論が行われる場所がいくつもありますが、その中でも特に注目されるのが予算委員会室です。この場所では、国の予算に関する議論が行われ、時には激論が交わされることも少なくありません。今回の「ひるおび!」では、高校生たちが予算委員会室を訪れ、政治の現場を直に体感しました。

高校生たちは、議員たちが国会が開かれていない時に何をしているのかなどの疑問を田崎史郎氏にぶつけました。田崎氏は、総理大臣になるための条件として「仲間を作ることが非常に大切であり、最低でも5人の仲間を作ることが成功の鍵」と語り、政治家としての基礎を学ぶ重要性を強調しました。このような実際の政治の現場での経験談は、政治に興味を持つ若者たちにとって非常に貴重な学びとなるでしょう。


本会議場の“ナゾの箱”と酸素ボックスの歴史

国会議事堂の本会議場は、国会中に法案の審議や採決が行われる場所であり、日本の政治の中枢と言える場所です。しかし、この場所にはあまり知られていない「ナゾの箱」が存在しています。この箱の正体は、「酸素ボックス」です。

昭和41年、当時不要となった電話ボックスを再利用して作られたこの酸素ボックスは、長時間にわたる審議や深夜国会が頻繁に行われていた時代に、議員たちの健康管理の一環として設置されました。議員たちは、このボックスの中で酸素を吸いながら、体力を回復させていたのです。今でも年に一度ほど使用されることがあり、議員たちにとってはなくてはならない存在です。

このような歴史的背景を持つ酸素ボックスは、国会議事堂がいかに厳しい環境であるかを物語っています。また、電話ボックスを再利用したというエコロジカルな視点も、現代の持続可能な社会への取り組みに通じるものがあります。国会議事堂を訪れる際には、この酸素ボックスにも注目してみると、また違った視点でこの場所を見ることができるでしょう。


数々の歴史を刻んだ本会議場とその舞台裏

本会議場は、衆議院と参議院それぞれに存在し、日本の政治の中心的な役割を果たしています。国会中には、ここで必要に応じて議員たちが集まり、法案の審議や採決を行います。この場所は、日本の政治史において数々の歴史的瞬間を刻んできました。

初当選した議員は、一番前の席に座り、ベテラン議員は一番後ろに座るという慣例があり、これもまた議員たちの経験やキャリアを象徴しています。また、議員たちは、所属する会派の人数によって座る位置が決められており、議長席に向かって左から右へ、人数の多い会派から順に座ることが慣例となっています。

さらに、衆議院と参議院の本会議場には大きな違いがあり、それは天皇陛下のお席が参議院にのみ設けられている点です。開会式は参議院で行われ、天皇陛下が開会の辞を述べられると、衆院議長がその言葉を受け取り、後ろ向きのまま階段を降りるという光景が繰り広げられます。この伝統的な儀式は、日本の政治文化の一端を垣間見ることができる貴重な場面です。

田崎史郎氏が一番印象に残っているシーンとして、「1992年6月のPKO協力法案をめぐる審議」が挙げられました。当時、法案に反対する社会党や共産党が、投票箱までゆっくり歩く「牛歩戦術」で抵抗したことが話題となりました。この審議は徹夜で行われ、議員たちは疲労困憊の中、何とか採決に至ったという苦しい経験が語られました。

このような歴史的な背景を知ることで、本会議場がいかに多くのドラマを生んできた場所であるかが分かります。国会議事堂を訪れる際には、このような歴史的な瞬間を思い起こしながら、改めて日本の政治の重みを感じてみてはいかがでしょうか。


まとめ

国会議事堂の裏側とその歴史に触れる貴重な体験

今回の「ひるおび!」15周年特別編では、田崎史郎氏が案内する国会議事堂の見学ツアーを通じて、高校生たちと共にその奥深い歴史や知られざる舞台裏に迫ることができました。国会議事堂という日本の政治の中心地には、単なる建物としての価値だけでなく、そこに込められた多くの人々の努力や歴史が息づいています。田崎氏の解説を通じて、普段は見えない国会議事堂の一面を知ることで、政治や歴史に対する理解が深まる貴重な機会となりました。皆さんもこの機会に、国会議事堂に足を運び、その歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

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